2012/12/09

如何にして私は協力隊に参加することになったのか-序

さて、そういえば”なんで協力隊に参加することになったの?”について
個人的に振り返るタイミングがなかったので、この機会に振り返りしてみようかと。

振り返るついでに、子供の頃の体験等を見直して、
「これから」に活かせそうなものは無いか考えてみたいと思う。

【小学校~大学篇】

①小学校
保育幼稚園時代、好きだった女の子を滑り台から突き落として縫うことになったり、
保育園の先生に恋をしてよく親を困らせたりしていた。

小学校入学後は、女の子とよくつるんで遊んでいた気がする。
ゲームするだけの目的のために好意がある振りをして遊びに行ったり、
好きな子とくっつきたいがために休み時間追い回したり。

小学生時代の将来の夢は「F1レーサー」になること。
暇さえあれば家でF1の実況を見ていたり、故アイルトン・セナかっこいいな!と
思っていたのが影響したんだろうな。

②中学校
中学校に入り部活に悩む春。
両親からは柔道部に入れと言われてたけど、
幼馴染が吹奏楽部へ見学に行ったついでに当時の部長に目を奪われてしまう。
入部。

その後は女性社会は恐ろしいという経験を3年かけて積むことになる。
他校の部員に恋したり、3年間同じクラスだった子と3年生の合唱コンクールで
指揮者と伴奏者やって勝手に運命感じちゃったり、
同じクラスの子が俺のこと好きだっていうんで告白してみたらそうでもなかったり、
あの頃は中二病全開だったな。

③高校
高校は県内トップ3に入る男子校へ進学。
部活は中学から引き続き吹奏楽部。

部活の先輩に紹介してもらった中学生と付き合う。
初彼女が中学生。どうなのよ。

大学進学について悩む高校3年の夏。
その頃は反抗期の妹たち・体調が悪い祖母・家のことに無関心な父に
すっかり疲弊していて、一刻も早く家を出たかったんだと思う。
大学センター試験の結果が1月に出てすぐに東京で一人暮らしをすることに決める。
この時家を出ていて正解だった。

会計士の資格と引き換えに勝ち得た一人暮らしの身。
今思えば大嘘つきだったな、ごめんなさい。

④大学
大学に入り、色々サークルを見てみたものの、結局吹奏楽部へ入部。

大学に入れば俺は変われる、男子校から共学の大学へ行けば彼女ができる、
そういった安直な幻想は見事にぶち壊される。
男子高校の性格から抜け出せない期間が続き、
特にめぼしいイベントもなく半年が過ぎる。

そんな半年を経験し、「このままいては何も変わらない、自分が変わらなければ!」
と思い始めた頃から何かが少しずつ変わっていった。

山あり谷あり涙あり笑いあり殴られたり往復ビンタあり修羅場ありと
群馬にいた頃には体験できないことを色々とした。

部活では会計を担当していたが、あまりにもずさんな財政管理体制に嫌気が差し、
実行委員の学年になってから制度とかやり方を改革してった。

そういう仕事を通じて、0→1はできなくても、1→10にする手伝いはできるんじゃないかって
思うようになっていった。
世の中には0→1にするクリエイティブな人がいて、
自分はそういう人たちにはどうあがいてもなれないんだなって。
それなら1→3にどうやったらできるか考えれ場いんじゃないかって。

就職活動もそう言う視点で会社や仕事内容を絞っていくようになった。
コンサルとか商品企画とか。
結局「ITコンサルって響きかっけー!」っていうのと社長が血液型で採用決めてたっていうのが
キーになって、現在の会社へ就職した。

パン屋で2年間バイトした経験を活かして飲食・パン屋もいいなって思ったけど、
その時は初任給とかかっこいいイメージとかばっかりの視点だったな。

次回は就職後のお話。

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