2012/12/19

2012年総括

スリランカも年の瀬、もう2012年も終わりですね。

一年の計は元旦にあり、と昔のひとは言ったものですが、
年始に酔っ払った頭で目標立てても絵に書いた餅になりそうなので、
今のうちに2012年を振り返り、2013年の目標を考えてみます。

2012年を振り返る
2012/1
JICAの2次試験を受ける。
妻の誕生日にタイはバンコク・チェンマイへ。首長族へ出会った。


2012/2
JICAの2次試験の結果が出る、合格。
2月下旬から技術補完研修が開始。24-1PC隊員と知り合う。

研修中も仕事の電話が来るんじゃないかと怯える日々。


2012/3
上旬まで技術補完研修&4月からの派遣前訓練のためのシンハラ語自宅学習。
3月末で会社休職のための引継・出向先からの引き上げをドタバタ。
3月末で自宅引き払いのための引越準備・身辺整理でドタバタ。

休職準備と引越準備と研修とシンハラ語事前研修でこの月は吐きそうだった。
よくマルチタスクこなした、自分偉い。


2012/4
墨田区の自宅から妻の実家へ引越。
研修前に伊豆諸島へ慰安旅行。
4月中旬からH24の1次隊向け派遣前訓練始まる。
シンハラクラス初日の確認テストでぼろぼろ。
これまでにない増加率でFBの友達数増える。


2012/5
シンハラクラス中間試験、なんとなく通る。
英語隊員の楽しそうな様子を尻目に頑張った・・。


2012/6
シンハラクラス最終試験、あっさり通る。
派遣前訓練修了。これで夢から目を覚ます時が・・。色々あって大泣き。
出国前にいろんな人たちと飲んだり食べたり。
旧友ってすごくありがたい存在だと実感。
6/28、スリランカへ赴任。


2012/7
現地語学訓練開始。担任の先生が綺麗でそれどころではない。
そして2度目の海外ホームステイ。
アンマーの朝からカレーサンド攻撃、
マッリ2人のラグビー・サッカーの練習付き合え攻撃に撃沈する。

7/24、任地のタンガッラへ赴任。


2012/8
タンガッラ赴任早々洗礼を受け、腹痛・鼻水・痰が止まらなくなる。
住んでるとこのご飯が全く合わず、大家さんも怖いしで大変だった。
活動はなかなか始められないし、CPは別の学校に行ってしまうし、
生徒はとんでもないし、予定はコロコロ変わるしで適応するに精一杯。


2012/9
ダイアログがなかなか繋がらなくて3回くらいショップのオネーサンとバトった。
エティサラトのほうが条件よくて契約してみたけど、電波を全く拾わず即解約。
この頃にはタンガッラでの生活にだいぶ慣れてきた。
週末はスタッフの家にお泊りに行ったり。
コロンボに上京してコロンボはスリランカじゃないと実感。
報告会では帰国する先輩隊員の話を聞き、自分はどんな報告ができるだろう?と悩む。
コロンボ隊員が仲良さそうなのを見てしんみりしてしまったり。


2012/10
シーギリヤ・ダンブッラ・キャンディの世界遺産を観光する。
この頃から一人で授業をぼちぼちやり始める。


2012/11
恐怖の11月、空からアンゴルモアの大王が~じゃない。
健康管理員の方が自宅訪問中にカカトをざっくり切る。
海外で初病院&人生初の縫う手術を行う。
この月は全く動けなかった。


2012/12
モルディブ&バングラ隊員が来スする。
久々に友達に会い、すごく懐かしい感じがした。
隊員総会で帰国隊員の報告を聞き、残り3/4なんだな、早いなと実感。
送別のビデオを見てちょっと泣く。
任国外旅行の申請も終え、あとは行くだけ。

2012年とはなんだったのか?
とまぁ振り返ってみると去年では想像もできなかったことがたくさんあったわけで。
目玉トピックとしてはスリランカでの仕事・暮らしかな。
海外旅行は慣れてるけど実際に住んでみるって全然違う。

日本でいるときに比べて積極性・わかりやすく話す・相手の気持ちを読み取ることが
たくさん求められたことが大きかった。

あとは計画を立てても計画通りに進まないことも多いので、
バックアッププランを常に用意しておくことも大事だと思った。

一人ではできないこと・難しいことは何でも相談して、
周りを巻き込んだ行動が必要であることも学んだ。

できないかも、から考えるんじゃなくて、
できるためには何を積み上げていく必要があるか、
目的・目標から逆算して考えることも学んだ。


2013年の抱負はまた今度。

2012/12/09

如何にして私は協力隊に参加することになったのか-序

さて、そういえば”なんで協力隊に参加することになったの?”について
個人的に振り返るタイミングがなかったので、この機会に振り返りしてみようかと。

振り返るついでに、子供の頃の体験等を見直して、
「これから」に活かせそうなものは無いか考えてみたいと思う。

【小学校~大学篇】

①小学校
保育幼稚園時代、好きだった女の子を滑り台から突き落として縫うことになったり、
保育園の先生に恋をしてよく親を困らせたりしていた。

小学校入学後は、女の子とよくつるんで遊んでいた気がする。
ゲームするだけの目的のために好意がある振りをして遊びに行ったり、
好きな子とくっつきたいがために休み時間追い回したり。

小学生時代の将来の夢は「F1レーサー」になること。
暇さえあれば家でF1の実況を見ていたり、故アイルトン・セナかっこいいな!と
思っていたのが影響したんだろうな。

②中学校
中学校に入り部活に悩む春。
両親からは柔道部に入れと言われてたけど、
幼馴染が吹奏楽部へ見学に行ったついでに当時の部長に目を奪われてしまう。
入部。

その後は女性社会は恐ろしいという経験を3年かけて積むことになる。
他校の部員に恋したり、3年間同じクラスだった子と3年生の合唱コンクールで
指揮者と伴奏者やって勝手に運命感じちゃったり、
同じクラスの子が俺のこと好きだっていうんで告白してみたらそうでもなかったり、
あの頃は中二病全開だったな。

③高校
高校は県内トップ3に入る男子校へ進学。
部活は中学から引き続き吹奏楽部。

部活の先輩に紹介してもらった中学生と付き合う。
初彼女が中学生。どうなのよ。

大学進学について悩む高校3年の夏。
その頃は反抗期の妹たち・体調が悪い祖母・家のことに無関心な父に
すっかり疲弊していて、一刻も早く家を出たかったんだと思う。
大学センター試験の結果が1月に出てすぐに東京で一人暮らしをすることに決める。
この時家を出ていて正解だった。

会計士の資格と引き換えに勝ち得た一人暮らしの身。
今思えば大嘘つきだったな、ごめんなさい。

④大学
大学に入り、色々サークルを見てみたものの、結局吹奏楽部へ入部。

大学に入れば俺は変われる、男子校から共学の大学へ行けば彼女ができる、
そういった安直な幻想は見事にぶち壊される。
男子高校の性格から抜け出せない期間が続き、
特にめぼしいイベントもなく半年が過ぎる。

そんな半年を経験し、「このままいては何も変わらない、自分が変わらなければ!」
と思い始めた頃から何かが少しずつ変わっていった。

山あり谷あり涙あり笑いあり殴られたり往復ビンタあり修羅場ありと
群馬にいた頃には体験できないことを色々とした。

部活では会計を担当していたが、あまりにもずさんな財政管理体制に嫌気が差し、
実行委員の学年になってから制度とかやり方を改革してった。

そういう仕事を通じて、0→1はできなくても、1→10にする手伝いはできるんじゃないかって
思うようになっていった。
世の中には0→1にするクリエイティブな人がいて、
自分はそういう人たちにはどうあがいてもなれないんだなって。
それなら1→3にどうやったらできるか考えれ場いんじゃないかって。

就職活動もそう言う視点で会社や仕事内容を絞っていくようになった。
コンサルとか商品企画とか。
結局「ITコンサルって響きかっけー!」っていうのと社長が血液型で採用決めてたっていうのが
キーになって、現在の会社へ就職した。

パン屋で2年間バイトした経験を活かして飲食・パン屋もいいなって思ったけど、
その時は初任給とかかっこいいイメージとかばっかりの視点だったな。

次回は就職後のお話。