来年から現在所属している職業訓練センターのITコースが閉鎖される予定だ。
予定と言っても、この国のことなので、もしかしたら年明けに開講を決めるかもしれんし、
閉鎖するかもしれないし。
来年になった後に閉鎖が決まっても、残り半年、そこから任地変更の
手続きをとっていては時間がかかる。
多分たいした活動もできずに本帰国の時期がやってくるだろう。
そんな任期の終わり方は絶対に嫌だ。
何がなんでも任地変更の切符を手に入れてみせる。
今の環境に嘆くのではなく、自分から環境を変える。
楽しいと思えないことに、惰性や義務感だけで時間を費やさないこと。
自分の人生は自分で切り拓く。
運命を選択しているのは常に自分だ。
このまま、このセンターに居続けるのも選択肢としてはありだろう。
けど、そんな”普通の”PC隊員の生活を送るなら、
自分じゃなくても誰かがすればいいじゃない。
自分にしかできない、活動をするしかない。
自分が自分であることを認めるには、
自分が他者と違うことをすることで差別化するしかない。
ほかの人と同じだけど、ちょっとだけ上手くやれる、
そんな人生だったらいらない。
2013/11/26
2013/07/25
人生を無駄に過ごさないこと
気がつけば2013年も折り返していましたね。
お久しぶりです。
2013年になってからというものの、毎月病気になり、
とても元気です!といえるような状況ではなかったので、
更新もすっかりご無沙汰してました。
ちきりんさんのエントリーで面白いものがあったのでシェア。
人生を無駄にするための10の方法
最近発売された著書、「未来の働き方を考えよう」の中でも言ってるように、
明日自分の人生が終わるとしても、後悔せずに終わるか。
10年毎に自分のライフプランを見直す。
そういったところで考えるための観点として面白いと思いました。
自分の人生は誰のためでもなく、自分のため。
自分の人生の傍観者ではなく、役者となれってこと。
お久しぶりです。
2013年になってからというものの、毎月病気になり、
とても元気です!といえるような状況ではなかったので、
更新もすっかりご無沙汰してました。
ちきりんさんのエントリーで面白いものがあったのでシェア。
人生を無駄にするための10の方法
最近発売された著書、「未来の働き方を考えよう」の中でも言ってるように、
明日自分の人生が終わるとしても、後悔せずに終わるか。
10年毎に自分のライフプランを見直す。
そういったところで考えるための観点として面白いと思いました。
自分の人生は誰のためでもなく、自分のため。
自分の人生の傍観者ではなく、役者となれってこと。
2012/12/19
2012年総括
スリランカも年の瀬、もう2012年も終わりですね。
一年の計は元旦にあり、と昔のひとは言ったものですが、
年始に酔っ払った頭で目標立てても絵に書いた餅になりそうなので、
今のうちに2012年を振り返り、2013年の目標を考えてみます。
2012年を振り返る
2012/1
JICAの2次試験を受ける。
妻の誕生日にタイはバンコク・チェンマイへ。首長族へ出会った。
2012/2
JICAの2次試験の結果が出る、合格。
2月下旬から技術補完研修が開始。24-1PC隊員と知り合う。
研修中も仕事の電話が来るんじゃないかと怯える日々。
2012/3
上旬まで技術補完研修&4月からの派遣前訓練のためのシンハラ語自宅学習。
3月末で会社休職のための引継・出向先からの引き上げをドタバタ。
3月末で自宅引き払いのための引越準備・身辺整理でドタバタ。
休職準備と引越準備と研修とシンハラ語事前研修でこの月は吐きそうだった。
よくマルチタスクこなした、自分偉い。
2012/4
墨田区の自宅から妻の実家へ引越。
研修前に伊豆諸島へ慰安旅行。
4月中旬からH24の1次隊向け派遣前訓練始まる。
シンハラクラス初日の確認テストでぼろぼろ。
これまでにない増加率でFBの友達数増える。
2012/5
シンハラクラス中間試験、なんとなく通る。
英語隊員の楽しそうな様子を尻目に頑張った・・。
2012/6
シンハラクラス最終試験、あっさり通る。
派遣前訓練修了。これで夢から目を覚ます時が・・。色々あって大泣き。
出国前にいろんな人たちと飲んだり食べたり。
旧友ってすごくありがたい存在だと実感。
6/28、スリランカへ赴任。
2012/7
現地語学訓練開始。担任の先生が綺麗でそれどころではない。
そして2度目の海外ホームステイ。
アンマーの朝からカレーサンド攻撃、
マッリ2人のラグビー・サッカーの練習付き合え攻撃に撃沈する。
7/24、任地のタンガッラへ赴任。
2012/8
タンガッラ赴任早々洗礼を受け、腹痛・鼻水・痰が止まらなくなる。
住んでるとこのご飯が全く合わず、大家さんも怖いしで大変だった。
活動はなかなか始められないし、CPは別の学校に行ってしまうし、
生徒はとんでもないし、予定はコロコロ変わるしで適応するに精一杯。
2012/9
ダイアログがなかなか繋がらなくて3回くらいショップのオネーサンとバトった。
エティサラトのほうが条件よくて契約してみたけど、電波を全く拾わず即解約。
この頃にはタンガッラでの生活にだいぶ慣れてきた。
週末はスタッフの家にお泊りに行ったり。
コロンボに上京してコロンボはスリランカじゃないと実感。
報告会では帰国する先輩隊員の話を聞き、自分はどんな報告ができるだろう?と悩む。
コロンボ隊員が仲良さそうなのを見てしんみりしてしまったり。
2012/10
シーギリヤ・ダンブッラ・キャンディの世界遺産を観光する。
この頃から一人で授業をぼちぼちやり始める。
2012/11
恐怖の11月、空からアンゴルモアの大王が~じゃない。
健康管理員の方が自宅訪問中にカカトをざっくり切る。
海外で初病院&人生初の縫う手術を行う。
この月は全く動けなかった。
2012/12
モルディブ&バングラ隊員が来スする。
久々に友達に会い、すごく懐かしい感じがした。
隊員総会で帰国隊員の報告を聞き、残り3/4なんだな、早いなと実感。
送別のビデオを見てちょっと泣く。
任国外旅行の申請も終え、あとは行くだけ。
2012年とはなんだったのか?
とまぁ振り返ってみると去年では想像もできなかったことがたくさんあったわけで。
目玉トピックとしてはスリランカでの仕事・暮らしかな。
海外旅行は慣れてるけど実際に住んでみるって全然違う。
日本でいるときに比べて積極性・わかりやすく話す・相手の気持ちを読み取ることが
たくさん求められたことが大きかった。
あとは計画を立てても計画通りに進まないことも多いので、
バックアッププランを常に用意しておくことも大事だと思った。
一人ではできないこと・難しいことは何でも相談して、
周りを巻き込んだ行動が必要であることも学んだ。
できないかも、から考えるんじゃなくて、
できるためには何を積み上げていく必要があるか、
目的・目標から逆算して考えることも学んだ。
2013年の抱負はまた今度。
一年の計は元旦にあり、と昔のひとは言ったものですが、
年始に酔っ払った頭で目標立てても絵に書いた餅になりそうなので、
今のうちに2012年を振り返り、2013年の目標を考えてみます。
2012年を振り返る
2012/1
JICAの2次試験を受ける。
妻の誕生日にタイはバンコク・チェンマイへ。首長族へ出会った。
2012/2
JICAの2次試験の結果が出る、合格。
2月下旬から技術補完研修が開始。24-1PC隊員と知り合う。
研修中も仕事の電話が来るんじゃないかと怯える日々。
2012/3
上旬まで技術補完研修&4月からの派遣前訓練のためのシンハラ語自宅学習。
3月末で会社休職のための引継・出向先からの引き上げをドタバタ。
3月末で自宅引き払いのための引越準備・身辺整理でドタバタ。
休職準備と引越準備と研修とシンハラ語事前研修でこの月は吐きそうだった。
よくマルチタスクこなした、自分偉い。
2012/4
墨田区の自宅から妻の実家へ引越。
研修前に伊豆諸島へ慰安旅行。
4月中旬からH24の1次隊向け派遣前訓練始まる。
シンハラクラス初日の確認テストでぼろぼろ。
これまでにない増加率でFBの友達数増える。
2012/5
シンハラクラス中間試験、なんとなく通る。
英語隊員の楽しそうな様子を尻目に頑張った・・。
2012/6
シンハラクラス最終試験、あっさり通る。
派遣前訓練修了。これで夢から目を覚ます時が・・。色々あって大泣き。
出国前にいろんな人たちと飲んだり食べたり。
旧友ってすごくありがたい存在だと実感。
6/28、スリランカへ赴任。
2012/7
現地語学訓練開始。担任の先生が綺麗でそれどころではない。
そして2度目の海外ホームステイ。
アンマーの朝からカレーサンド攻撃、
マッリ2人のラグビー・サッカーの練習付き合え攻撃に撃沈する。
7/24、任地のタンガッラへ赴任。
2012/8
タンガッラ赴任早々洗礼を受け、腹痛・鼻水・痰が止まらなくなる。
住んでるとこのご飯が全く合わず、大家さんも怖いしで大変だった。
活動はなかなか始められないし、CPは別の学校に行ってしまうし、
生徒はとんでもないし、予定はコロコロ変わるしで適応するに精一杯。
2012/9
ダイアログがなかなか繋がらなくて3回くらいショップのオネーサンとバトった。
エティサラトのほうが条件よくて契約してみたけど、電波を全く拾わず即解約。
この頃にはタンガッラでの生活にだいぶ慣れてきた。
週末はスタッフの家にお泊りに行ったり。
コロンボに上京してコロンボはスリランカじゃないと実感。
報告会では帰国する先輩隊員の話を聞き、自分はどんな報告ができるだろう?と悩む。
コロンボ隊員が仲良さそうなのを見てしんみりしてしまったり。
2012/10
シーギリヤ・ダンブッラ・キャンディの世界遺産を観光する。
この頃から一人で授業をぼちぼちやり始める。
2012/11
恐怖の11月、空からアンゴルモアの大王が~じゃない。
健康管理員の方が自宅訪問中にカカトをざっくり切る。
海外で初病院&人生初の縫う手術を行う。
この月は全く動けなかった。
2012/12
モルディブ&バングラ隊員が来スする。
久々に友達に会い、すごく懐かしい感じがした。
隊員総会で帰国隊員の報告を聞き、残り3/4なんだな、早いなと実感。
送別のビデオを見てちょっと泣く。
任国外旅行の申請も終え、あとは行くだけ。
2012年とはなんだったのか?
とまぁ振り返ってみると去年では想像もできなかったことがたくさんあったわけで。
目玉トピックとしてはスリランカでの仕事・暮らしかな。
海外旅行は慣れてるけど実際に住んでみるって全然違う。
日本でいるときに比べて積極性・わかりやすく話す・相手の気持ちを読み取ることが
たくさん求められたことが大きかった。
あとは計画を立てても計画通りに進まないことも多いので、
バックアッププランを常に用意しておくことも大事だと思った。
一人ではできないこと・難しいことは何でも相談して、
周りを巻き込んだ行動が必要であることも学んだ。
できないかも、から考えるんじゃなくて、
できるためには何を積み上げていく必要があるか、
目的・目標から逆算して考えることも学んだ。
2013年の抱負はまた今度。
2012/12/09
如何にして私は協力隊に参加することになったのか-序
さて、そういえば”なんで協力隊に参加することになったの?”について
個人的に振り返るタイミングがなかったので、この機会に振り返りしてみようかと。
振り返るついでに、子供の頃の体験等を見直して、
「これから」に活かせそうなものは無いか考えてみたいと思う。
【小学校~大学篇】
①小学校
保育幼稚園時代、好きだった女の子を滑り台から突き落として縫うことになったり、
保育園の先生に恋をしてよく親を困らせたりしていた。
小学校入学後は、女の子とよくつるんで遊んでいた気がする。
ゲームするだけの目的のために好意がある振りをして遊びに行ったり、
好きな子とくっつきたいがために休み時間追い回したり。
小学生時代の将来の夢は「F1レーサー」になること。
暇さえあれば家でF1の実況を見ていたり、故アイルトン・セナかっこいいな!と
思っていたのが影響したんだろうな。
②中学校
中学校に入り部活に悩む春。
両親からは柔道部に入れと言われてたけど、
幼馴染が吹奏楽部へ見学に行ったついでに当時の部長に目を奪われてしまう。
入部。
その後は女性社会は恐ろしいという経験を3年かけて積むことになる。
他校の部員に恋したり、3年間同じクラスだった子と3年生の合唱コンクールで
指揮者と伴奏者やって勝手に運命感じちゃったり、
同じクラスの子が俺のこと好きだっていうんで告白してみたらそうでもなかったり、
あの頃は中二病全開だったな。
③高校
高校は県内トップ3に入る男子校へ進学。
部活は中学から引き続き吹奏楽部。
部活の先輩に紹介してもらった中学生と付き合う。
初彼女が中学生。どうなのよ。
大学進学について悩む高校3年の夏。
その頃は反抗期の妹たち・体調が悪い祖母・家のことに無関心な父に
すっかり疲弊していて、一刻も早く家を出たかったんだと思う。
大学センター試験の結果が1月に出てすぐに東京で一人暮らしをすることに決める。
この時家を出ていて正解だった。
会計士の資格と引き換えに勝ち得た一人暮らしの身。
今思えば大嘘つきだったな、ごめんなさい。
④大学
大学に入り、色々サークルを見てみたものの、結局吹奏楽部へ入部。
大学に入れば俺は変われる、男子校から共学の大学へ行けば彼女ができる、
そういった安直な幻想は見事にぶち壊される。
男子高校の性格から抜け出せない期間が続き、
特にめぼしいイベントもなく半年が過ぎる。
そんな半年を経験し、「このままいては何も変わらない、自分が変わらなければ!」
と思い始めた頃から何かが少しずつ変わっていった。
山あり谷あり涙あり笑いあり殴られたり往復ビンタあり修羅場ありと
群馬にいた頃には体験できないことを色々とした。
部活では会計を担当していたが、あまりにもずさんな財政管理体制に嫌気が差し、
実行委員の学年になってから制度とかやり方を改革してった。
そういう仕事を通じて、0→1はできなくても、1→10にする手伝いはできるんじゃないかって
思うようになっていった。
世の中には0→1にするクリエイティブな人がいて、
自分はそういう人たちにはどうあがいてもなれないんだなって。
それなら1→3にどうやったらできるか考えれ場いんじゃないかって。
就職活動もそう言う視点で会社や仕事内容を絞っていくようになった。
コンサルとか商品企画とか。
結局「ITコンサルって響きかっけー!」っていうのと社長が血液型で採用決めてたっていうのが
キーになって、現在の会社へ就職した。
パン屋で2年間バイトした経験を活かして飲食・パン屋もいいなって思ったけど、
その時は初任給とかかっこいいイメージとかばっかりの視点だったな。
次回は就職後のお話。
個人的に振り返るタイミングがなかったので、この機会に振り返りしてみようかと。
振り返るついでに、子供の頃の体験等を見直して、
「これから」に活かせそうなものは無いか考えてみたいと思う。
【小学校~大学篇】
①小学校
保育幼稚園時代、好きだった女の子を滑り台から突き落として縫うことになったり、
保育園の先生に恋をしてよく親を困らせたりしていた。
小学校入学後は、女の子とよくつるんで遊んでいた気がする。
ゲームするだけの目的のために好意がある振りをして遊びに行ったり、
好きな子とくっつきたいがために休み時間追い回したり。
小学生時代の将来の夢は「F1レーサー」になること。
暇さえあれば家でF1の実況を見ていたり、故アイルトン・セナかっこいいな!と
思っていたのが影響したんだろうな。
②中学校
中学校に入り部活に悩む春。
両親からは柔道部に入れと言われてたけど、
幼馴染が吹奏楽部へ見学に行ったついでに当時の部長に目を奪われてしまう。
入部。
その後は女性社会は恐ろしいという経験を3年かけて積むことになる。
他校の部員に恋したり、3年間同じクラスだった子と3年生の合唱コンクールで
指揮者と伴奏者やって勝手に運命感じちゃったり、
同じクラスの子が俺のこと好きだっていうんで告白してみたらそうでもなかったり、
あの頃は中二病全開だったな。
③高校
高校は県内トップ3に入る男子校へ進学。
部活は中学から引き続き吹奏楽部。
部活の先輩に紹介してもらった中学生と付き合う。
初彼女が中学生。どうなのよ。
大学進学について悩む高校3年の夏。
その頃は反抗期の妹たち・体調が悪い祖母・家のことに無関心な父に
すっかり疲弊していて、一刻も早く家を出たかったんだと思う。
大学センター試験の結果が1月に出てすぐに東京で一人暮らしをすることに決める。
この時家を出ていて正解だった。
会計士の資格と引き換えに勝ち得た一人暮らしの身。
今思えば大嘘つきだったな、ごめんなさい。
④大学
大学に入り、色々サークルを見てみたものの、結局吹奏楽部へ入部。
大学に入れば俺は変われる、男子校から共学の大学へ行けば彼女ができる、
そういった安直な幻想は見事にぶち壊される。
男子高校の性格から抜け出せない期間が続き、
特にめぼしいイベントもなく半年が過ぎる。
そんな半年を経験し、「このままいては何も変わらない、自分が変わらなければ!」
と思い始めた頃から何かが少しずつ変わっていった。
山あり谷あり涙あり笑いあり殴られたり往復ビンタあり修羅場ありと
群馬にいた頃には体験できないことを色々とした。
部活では会計を担当していたが、あまりにもずさんな財政管理体制に嫌気が差し、
実行委員の学年になってから制度とかやり方を改革してった。
そういう仕事を通じて、0→1はできなくても、1→10にする手伝いはできるんじゃないかって
思うようになっていった。
世の中には0→1にするクリエイティブな人がいて、
自分はそういう人たちにはどうあがいてもなれないんだなって。
それなら1→3にどうやったらできるか考えれ場いんじゃないかって。
就職活動もそう言う視点で会社や仕事内容を絞っていくようになった。
コンサルとか商品企画とか。
結局「ITコンサルって響きかっけー!」っていうのと社長が血液型で採用決めてたっていうのが
キーになって、現在の会社へ就職した。
パン屋で2年間バイトした経験を活かして飲食・パン屋もいいなって思ったけど、
その時は初任給とかかっこいいイメージとかばっかりの視点だったな。
次回は就職後のお話。
2012/11/23
これからの暮し方の話をしよう
僕の好きな映画の一つに「最高の人生の見つけ方」(the Bucket List)という映画がある。
主人公の老人二人が、余命を宣告された後、
余命を充実したものにするためのリストを作成し、次々と達成していく映画だ。
残りの人生を考えたときに、どういう暮らしをして人生を終わりたいか、
逆算して考えることも大切じゃないかな?って思っている。
隊員仲間のたろーさんが余生についてエントリーを書いていたので、
自分も書いてみたくなった次第です。
余生の送り方
5W1Hのフレームワークでこれからの暮らし方について考えると、
すっきりまとまってくるんじゃないかなと思い、項目を追加してみた。
どこで(Where)
-冬がなく、寒くても暖房器具・暖かい服がいらないところ
-海か湖の近く
-経営するゲストハウスで
-近くに市場があって毎朝新鮮な野菜・魚・肉が並ぶ
いつ(When)
-40代後半?
-若いうちはまだ落ち着きたくない
だれと(Who)
-家族と
-ひとりでのんびりもいいまもしれない
なんのため(Why)
-日本人と現地の人の橋渡しをしたい
-日本人も認めるサービスを提供して現地のよさを世界にアピール
-パソコン寺子屋みたいなことをして現地の人の就職の役に立てたい
なにを(What)
-パソコン寺子屋
-ゲストハウス
-兼業主夫
-Web関係のホームワーカー
どんなふうに(How)
-自宅で焼いたパンで客をもてなす
-貯金をしなくても歳をとったあとに暮らせるようなセーフティーネットを作っておく
-朝日を背に海辺を散歩。夕陽を見ながらコーヒー飲む。
-年に1ヶ月ぐらいは海外旅行
これ、半年毎とかに書いてみて、これまでの内容とどう変わってきたか
見てみるといい分析ができるんじゃないかな?
考えがあっちこっち飛んでて全然まとまらないなぁ。
年末に合わせて更新してみようと思います。
主人公の老人二人が、余命を宣告された後、
余命を充実したものにするためのリストを作成し、次々と達成していく映画だ。
残りの人生を考えたときに、どういう暮らしをして人生を終わりたいか、
逆算して考えることも大切じゃないかな?って思っている。
隊員仲間のたろーさんが余生についてエントリーを書いていたので、
自分も書いてみたくなった次第です。
余生の送り方
5W1Hのフレームワークでこれからの暮らし方について考えると、
すっきりまとまってくるんじゃないかなと思い、項目を追加してみた。
どこで(Where)
-冬がなく、寒くても暖房器具・暖かい服がいらないところ
-海か湖の近く
-経営するゲストハウスで
-近くに市場があって毎朝新鮮な野菜・魚・肉が並ぶ
いつ(When)
-40代後半?
-若いうちはまだ落ち着きたくない
だれと(Who)
-家族と
-ひとりでのんびりもいいまもしれない
なんのため(Why)
-日本人と現地の人の橋渡しをしたい
-日本人も認めるサービスを提供して現地のよさを世界にアピール
-パソコン寺子屋みたいなことをして現地の人の就職の役に立てたい
なにを(What)
-パソコン寺子屋
-ゲストハウス
-兼業主夫
-Web関係のホームワーカー
どんなふうに(How)
-自宅で焼いたパンで客をもてなす
-貯金をしなくても歳をとったあとに暮らせるようなセーフティーネットを作っておく
-朝日を背に海辺を散歩。夕陽を見ながらコーヒー飲む。
-年に1ヶ月ぐらいは海外旅行
これ、半年毎とかに書いてみて、これまでの内容とどう変わってきたか
見てみるといい分析ができるんじゃないかな?
考えがあっちこっち飛んでて全然まとまらないなぁ。
年末に合わせて更新してみようと思います。
2012/11/17
俺の活動がこんなに暇なわけがない
9月・10月にC言語プログラミングの授業が終わったため、
先月中旬から割と暇だ。
何か他に授業ができないかと模索してる最中、
今月上旬に足の怪我。
その日から1週間自宅療養生活。
当然外にも出られないから家で一日中だらだら。
8時すぎに起きてだらだら
22時前にはなぜか眠くなるから睡眠
次の日も8時すぎに起きてだらだら
・・・以下繰り返し
丁度引越しのことや授業のこと、CPのこと、
生徒のこと、そもそも海外生活しんどいなってこと、
色々うだうだ考えてたことが怪我のことで吹き飛んでしまった。
怪我したことで考えなきゃいけないことが整理できたし、
十分に休んだことでかえって活動したい!って気持ちの整理もできた。
よく休みの日でも朝から運動して、
お昼はショッピングして、夜は飲み会で2次会して・・・
っていう休む時間ない俺格好いいみたいな人がいるけど、
休みの日は休むことにもっと集中してもいいのかもしれない。
と思った。
予定が入ってないと不安だって人はいる。
俺も実際そうだった。
けど予定がないから「あれやってみよう」「今日はここ行ってみるか」
ってな感じで今まで考えられなかったことをできる
チャンスが生まれる可能性だってある。
もっと暇を暇として楽しむ気持ちもあってもいいじゃないの。
そんなわけでこんなに暇だとくだらないことを考えてしまう。
そういえば、カカトの怪我をしてシャワーどうするの話になった。
健康管理員さんに聞いたら、「ビニール袋を足にかぶせてシャワーをしてください」とのこと。
もっとうまい方法ないのかな?と思い、義母に主婦の知恵をおかしください~と聞いてみたら、
「そういえば子供達が子供の頃足を怪我した時も、ビニール袋かぶせてお風呂に入ってた」そうな。
子供たちの時って今からだいたい15年くらい前とすると、
この15年の間にITやら最新技術やらが革命やら進歩を遂げているにもかかわらず、
未だに「足の怪我をして、お風呂に入るときはビニール袋をかぶせて」
という状態。
これって、怪我しているところに完全防水になるシールか何かをペタッと
貼れば解決する問題じゃないのかな?またはそういう技術がないのかな?
ないわけないと思うけど・・・。
先月中旬から割と暇だ。
何か他に授業ができないかと模索してる最中、
今月上旬に足の怪我。
その日から1週間自宅療養生活。
当然外にも出られないから家で一日中だらだら。
8時すぎに起きてだらだら
22時前にはなぜか眠くなるから睡眠
次の日も8時すぎに起きてだらだら
・・・以下繰り返し
丁度引越しのことや授業のこと、CPのこと、
生徒のこと、そもそも海外生活しんどいなってこと、
色々うだうだ考えてたことが怪我のことで吹き飛んでしまった。
怪我したことで考えなきゃいけないことが整理できたし、
十分に休んだことでかえって活動したい!って気持ちの整理もできた。
よく休みの日でも朝から運動して、
お昼はショッピングして、夜は飲み会で2次会して・・・
っていう休む時間ない俺格好いいみたいな人がいるけど、
休みの日は休むことにもっと集中してもいいのかもしれない。
と思った。
予定が入ってないと不安だって人はいる。
俺も実際そうだった。
けど予定がないから「あれやってみよう」「今日はここ行ってみるか」
ってな感じで今まで考えられなかったことをできる
チャンスが生まれる可能性だってある。
もっと暇を暇として楽しむ気持ちもあってもいいじゃないの。
そんなわけでこんなに暇だとくだらないことを考えてしまう。
そういえば、カカトの怪我をしてシャワーどうするの話になった。
健康管理員さんに聞いたら、「ビニール袋を足にかぶせてシャワーをしてください」とのこと。
もっとうまい方法ないのかな?と思い、義母に主婦の知恵をおかしください~と聞いてみたら、
「そういえば子供達が子供の頃足を怪我した時も、ビニール袋かぶせてお風呂に入ってた」そうな。
子供たちの時って今からだいたい15年くらい前とすると、
この15年の間にITやら最新技術やらが革命やら進歩を遂げているにもかかわらず、
未だに「足の怪我をして、お風呂に入るときはビニール袋をかぶせて」
という状態。
これって、怪我しているところに完全防水になるシールか何かをペタッと
貼れば解決する問題じゃないのかな?またはそういう技術がないのかな?
ないわけないと思うけど・・・。
2012/11/16
ランカが寒くなって人が住めなくなる・・ってありえるのか
気がつけば11月も折り返しターンを通過した。
今年も50日を切った。
2012年を振り返るにはまだ早いので、また今度。
先日の朝のスピーチ(毎週水曜日、生徒と先生が1人ずつ好きなテーマで発表)の順番に
ついに僕の番が回ってきた。
テーマは「日本の四季について」
春は日本の花である”桜”が咲いて、会社の人や家族と桜を見てご飯を食べてお酒を飲んで楽しむ。
夏は多くの日本人が海に行って遊ぶこと。
”かき氷”という氷を砕いたものにシロップやアイスを乗せて食べる。
秋はたくさんの木の葉が赤・橙・黄に紅葉する。
紅葉狩りに行ってご飯食べてお酒飲む。
冬は一年のうちで一番寒い。
雪が降って、子供たちは雪で遊ぶのが大好きだ。
雪だるまを作ったり、カマクラという雪の家を作って中でご飯食べたりお酒飲んだり。
・・・こう振り返ってみると日本人って一年中食ったり飲んだりして
なんだかだらだらするのが好きな人種なんじゃないかという風に思われたりして。
スリランカは低地に至っては常夏の国。
ビーチサンダル・Tシャツ・ハーフパンツで一年中着回せる。
高地は低地に比べれて涼しい。
長袖・長ズボン・靴で耳あてをしている人がいるぐらい。
けれど、日本みたいに雪は降らないから、
日本みたいに寒くて外にいられないよ!みたいなことはないらしい。
そんなスリランカもいつか気候変動で真冬のある国になっちゃうんだろうか?
常夏が売りのスリランカなのに、勿体無いなぁと思考を巡らすこともある。
そういえば、電車の弱冷房車って、冬はずっと弱暖房車になるもんだと思ってた。
ふと調べてみたらどうやら冬は他の車両と同じ設定温度らしい。
Q.電車の弱冷房車は、冬の暖房時はどうなるのでしょう?
なんだ・・・エアコンが弱めに設定されてる社労だと思ってずっと冬はそっち乗ってたよ。
冬に薄着で電車に乗る人なんていないんだから、若干温度下げても怒られないと思うけどな。
今年も50日を切った。
2012年を振り返るにはまだ早いので、また今度。
先日の朝のスピーチ(毎週水曜日、生徒と先生が1人ずつ好きなテーマで発表)の順番に
ついに僕の番が回ってきた。
テーマは「日本の四季について」
春は日本の花である”桜”が咲いて、会社の人や家族と桜を見てご飯を食べてお酒を飲んで楽しむ。
夏は多くの日本人が海に行って遊ぶこと。
”かき氷”という氷を砕いたものにシロップやアイスを乗せて食べる。
秋はたくさんの木の葉が赤・橙・黄に紅葉する。
紅葉狩りに行ってご飯食べてお酒飲む。
冬は一年のうちで一番寒い。
雪が降って、子供たちは雪で遊ぶのが大好きだ。
雪だるまを作ったり、カマクラという雪の家を作って中でご飯食べたりお酒飲んだり。
・・・こう振り返ってみると日本人って一年中食ったり飲んだりして
なんだかだらだらするのが好きな人種なんじゃないかという風に思われたりして。
スリランカは低地に至っては常夏の国。
ビーチサンダル・Tシャツ・ハーフパンツで一年中着回せる。
高地は低地に比べれて涼しい。
長袖・長ズボン・靴で耳あてをしている人がいるぐらい。
けれど、日本みたいに雪は降らないから、
日本みたいに寒くて外にいられないよ!みたいなことはないらしい。
そんなスリランカもいつか気候変動で真冬のある国になっちゃうんだろうか?
常夏が売りのスリランカなのに、勿体無いなぁと思考を巡らすこともある。
そういえば、電車の弱冷房車って、冬はずっと弱暖房車になるもんだと思ってた。
ふと調べてみたらどうやら冬は他の車両と同じ設定温度らしい。
Q.電車の弱冷房車は、冬の暖房時はどうなるのでしょう?
なんだ・・・エアコンが弱めに設定されてる社労だと思ってずっと冬はそっち乗ってたよ。
冬に薄着で電車に乗る人なんていないんだから、若干温度下げても怒られないと思うけどな。
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